31歳、家族の死・介護・事業承継・借金億越え…激動の人生で学んだ5つの大切なこと

人生の試練

皆さん、こんにちは。まっち(31)です。
この年齢にして、もう何周も人生のジェットコースターを経験してきたと自負しています。

家族の看取り(亡くなるまでの付き添い)、事業承継(家業の引き継ぎ)、借金億超え、MBA取得(経営学修士の学位)、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)留学、卵子凍結…。
7年で6回のお葬式を経験し、同世代の多くの人とは少し違う人生を歩んできました。

このブログは、私がこれまでの経験から学んだ大切なことを共有する場所です。
読んでくださる方の人生の選択や考え方の参考になれば幸いです。


普通だった、はずの日常

私は大阪で生まれ育ちました。
九州出身の厳しい父、父にぞっこんな母、姉と私の4人家族です。(母についてはやや辛口笑)

父には「義務教育の間はしつけは厳しく」という信念があり、それはもう厳しい人でした。
当時は殴る・蹴るが当たり前で、鼓膜(こまく:耳の奥にある薄い膜)が破れたこともあります。姉は父に似て感情の激しい人でした。そんな姉の手で鼓膜が破れたことも。笑

「お前は地元の学校に行ったら将来はない」と言われ、公立中学校(地元で一番荒れていた)には進学させてもらえず、私立中学を受験。父が希望する中学の受験に失敗した時には、公衆の面前で父にビンタされたこともありました。

中学では一時期、不登校で引きこもりに。
そこから「臨床心理士(心の悩みや問題をサポートする専門家)になりたい」と思い立ちました。
人を理解するためには自分自身も多くの経験が必要だと考え、高校で1年間カナダへ交換留学。

大学はアメリカへ進学し、1年半後に日本の大学へ編入。さらに大学院へと進みましたが、大学院1年目の冬、突然の出来事が起こります。


大きな出来事① 姉の死

その日は昼から予定があった私。
予定の最中に父から何度も着信があり、「すぐに帰ってこい」とだけ告げられました。

両親と合流して車に乗り込むと、漂う空気は異様に重く…。
その中で姉の死を知らされます。

あまりに衝撃的で、今も感情を整理できていません。
この出来事については、落ち着いて書ける時に改めて書きたいと思います。


大きな出来事② 父の介護と看取り

姉の死から立ち直れないまま、今度は父がコロナ禍の始めに食道がんの診断を受けました。
健康一筋だった父は大きく動揺。もちろん私たち家族も同じでした。(介護で学んだ3つの大切なこと

病院探し、治療方針の決定、介護の準備――毎日が初めてだらけで、慌ただしく時間が過ぎていきます。

約8ヶ月後、父はこの世を去りました。
その間に、20年以上連れ添った愛猫も天国へ。
わずか数年で3つの死を経験し、「命の儚さ」と「未来の不確かさ」を強く感じました。

そして衝撃はさらに続き、今度は相続(財産や借金を引き継ぐこと)の問題がやってきます…。


大きな出来事③ 事業承継の挑戦

父は小さな工具屋を家族で経営しており、従業員は3名。
営業も配達もすべて自分でこなしていた父が闘病することになり、私は臨床心理士の仕事を辞めて急遽家業に入りました。

よく「なぜ継ぐ決心をしたのですか?」と聞かれますが、正直なところ決心というものはありませんでした。
目の前に仕事があり、やらなければいけない。それだけだった気がします。

闘病中の父から十分な引き継ぎはなく、精神的にも不安定な中で、ただ目の前の仕事をこなす日々。
若さや女性という理由で厳しい態度を取られたり、契約を打ち切られたりと、理不尽な経験もしました。

お金の話をしたら父に「金の亡者が」と言われたことも。笑
手術も経ましたが、8ヶ月後に父は亡くなりました。
この時のことも、いずれ詳しく書こうと思います。


大きな出来事④ ビジネススクールへの挑戦

事業承継後、コロナ禍もあり売上は右肩下がり。
公的支援機関や銀行を回りましたが、担当者ごとにアドバイスが異なり、何を信じていいのか分からず迷う日々。

まずは基礎知識をつけようと、簿記(お金の流れを管理する資格や知識)を勉強し、ファイナンシャルプランナー(お金の計画や相談の専門資格)の試験にも挑戦。

そんな中、ある方から「経営を体系的に学ぶといい」と勧められ、名古屋商科大学大学院(NUCB)のビジネススクールへ入学しました。(入学前にしたこと

卒業後はハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のエグゼクティブプログラム(経営幹部向け短期集中講座)を受講するため、ボストンへ。
ビジネススクールへ入学してからの約2年間、多くの縁に恵まれ、これまでの暗かった人生が嘘のように明るく拓けていく感覚を味わいました。


大きな出来事⑤ 卵子凍結への挑戦

少し話は戻りますが、ビジネススクール入学前の29歳で卵子凍結を行いました。
卵子凍結とは、将来子どもを望む可能性を残すために、自分の卵子を採取し冷凍保存する医療技術です。

私は昔から家族への憧れが強く、本当は20代前半で子どもを産み、家族のために尽くすお母さんになりたかった。
料理は得意ではないけれど、家族が安心できる「帰る場所」を作りたいと思っていました。

しかし状況はそれを許さず、それでも子どもを諦めたくはありませんでした。
結婚相談所での活動もうまくいかない中、「せめて20代の卵子を残そう」と決意しました。

子どもを持つタイミングやキャリアとの両立は、本当に難しい課題です。
それでも女性だからこそ得られる幸せや喜びもあると実感しています。
この経験も、別の記事で詳しくご紹介したいと思います。


激動の人生で学んだ5つの大切なこと

  1. 人は必ず死ぬ – 大切な人との時間は有限。会える時に会い、思いを伝えておく。
  2. 変化を恐れない – 不安の中こそ、新しい可能性が潜んでいる。(とはいえ、私は変化が嫌いです笑)
  3. 自分への投資を惜しまない – 知識や経験は必ず自分を守る財産になる。
  4. 家族の大切さ – 支えてくれる家族は当たり前ではない、大切な存在。
  5. 運と縁と恩 – 出会いや繋がりは、受けた恩を返すことで広がっていく。

まとめ

これらの経験を通じて、私は「明日の不安定さ」を身に染みて学びました。
人の致死率は100%。誰にも明日の保証はありません。

だからこそ、今できる最善を選び、悔いなく生きることが大切です。
皆さんも自分を信じ、恐れずに挑戦してください。

このブログを通じて、私の経験が少しでもあなたの人生の参考になれば嬉しいです。

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