家族の介護で学んだ3つの大切なこと〜癌闘病編〜

人生の試練

はじめに

「家族の介護」って、聞くだけで重たい響きがありますよね。

介護離職やヤングケアラー、老老介護といった言葉もニュースで目にすることが増えました。実際、自分や身近な人が関わるまでは「まだ先のこと」と思う人が多いかもしれません。でも、誰にとっても明日は我が身になり得る現実です。

私の場合は、父が食道癌(ステージ4)と診断されたことをきっかけに、家族介護が突然始まりました。正直に言うと、心も体も限界まで追い込まれる日々でした。ニュースや本で読む以上に現実は過酷で、「何で私が?!」と叫ぶ日も何度もありました。

それでも、血の繋がった家族だから逃げられない。育ててもらった恩もある。泣きながらも必死で向き合った日々でした。

そして今振り返ると、その経験があったからこそ気づけた大切なことが3つあります。この記事では、私の介護体験談を交えながら、その学びをシェアしたいと思います。これから家族介護に向き合う方に、少しでも参考になれば幸いです。


1. 相談相手を持つ

重大な病気や怪我が判明した時点で、家族全員に大きな衝撃が走ります。本人の辛さは計り知れませんが、介護にあたる家族もまた大きな不安と混乱を抱えます。

私は臨床心理士として働き、人より心の扱いに慣れている自負がありました。早くに姉を亡くした経験からも「私は強い」と思っていました。それでも、父の病気の告知を受けた時には手が震え、冷静ではいられませんでした。

父は「別の病院に転院したい」と希望し、私も一緒に病院探しを始めました。「治療の施しようがない」と余命宣告を受けたかかりつけの病院ではなく、前向きに治療ができるがん専門病院で治療を受けることを望んだからです。転院のために診察に同行した時、主治医の説明を受けながら「これが現実なんだ」と初めて強烈に実感し、涙が止まりませんでした。怒りや恐怖も入り混じり、心がぐちゃぐちゃだったのを覚えています。

そんな日々を思い返すと、「もっと誰かに助けを求めればよかった」と思います。周囲には支えてくれる人がたくさんいたのに、私は「自分が頑張らなきゃ」と思い込んで感情を抑え込んでいました。でも本当は、父の話を聞いてもらったり、ただ泣いたり叫んだりできるだけで楽になったと思います。精神的なよりどころを持つことは、本当に大事です。

介護は「一人で背負うもの」ではありません。臨床心理士やカウンセラーに相談するのもいいし、同じ境遇の人と話すのも良い。相談相手を持つことは、介護者の命綱になると、今だからこそ強く言えます。


2. 完璧にやろうとしない

癌の闘病は、治療や副作用との長い戦いです。父は「治療はできない」といくつもの病院で言われましたが、大阪国際がんセンターが受け入れてくれ、奇跡的に治療が始まりました。治療が始まると、父の体力はどんどん削られていきました。食事もとれていませんでした。ふと気づくと、父の体が細くなっている。そんな姿を見るのは本当に辛かったです。

栄養を補うために処方された「エンシュア」という栄養剤は、濃いプロテインのような味で父は受け付けず、私は「食べてくれないと治療ができない!」と焦り、衝突してしまうこともありました。冷蔵庫を栄養食品でいっぱいにして押し付けるように食べることを勧めたこともあります。でも、それが本当に父のためだったのか、今では疑問に思います。

そんな中、父から突然「今日は1万歩歩いた」と歩数計の写真が送られてきました。治療で痩せ細りながらも、「自分はまだ歩ける。回復するんだ」と伝えたかったのかもしれません。それを見て涙があふれてきました。私の肩の力がふっと抜けました。「完璧じゃなくてもいい。父なりの生き方を尊重しよう」と思えた瞬間でした。

介護では「これをしなきゃ」「あれもしなきゃ」と義務感に押しつぶされそうになります。でも実際は、誰にとっての完璧なのかを考えることが大事ではないでしょうか。本人にとっての「できること」「したいこと」を大切にする。それが介護における支え方の一つかな、と考えました。


3. 最期を一緒に過ごす時間の価値

癌の闘病では、「延命治療をどこまで続けるか」「自宅で過ごすか」といった難しい選択に直面します。私たちも介護サービスの申し込みや退院後の準備を進めていました。しかし、父の体調は急速に悪化し、実際にサービスを利用することはありませんでした。まさに坂を転がり落ちるように容体が変わっていったのです。

最期の数日、病室で横たわる父は痩せ細り、言葉も出せない状態でした。その姿が怖くて、でもどこか「もう終わりなんだなー」と冷静で、どんな言葉をかければいいのかわかりませんでした。それでも、その場にいられたこと自体が大切な時間だったのではないかと、今は思います。

人間の致死率は100%。いつ何が起こるか分かりません。だからこそ、日常の当たり前の小さな時間を大切に過ごすことが、何よりの介護ではないか思います。一緒にテレビを見る、一緒に散歩する、ただ同じ空間にいる。それだけで十分にかけがえのない時間になります。最後の瞬間を迎えた時、「一緒に過ごせた」という実感が心の支えになるはずです。


まとめ:介護は「頑張りすぎない勇気」が大事

父の癌介護を通して、私が学んだ大切なことは次の3つです。

  1. 相談相手を持つ:一人で抱え込まず、心の支えを持つことが命綱になる
  2. 完璧にやろうとしない:相手のための「完璧」は本人のペースを尊重すること
  3. 最期を一緒に過ごす時間の価値:日常の当たり前の時間こそがかけがえのない宝物になる

介護は肉体的にも精神的にも負担が大きいですが、「頑張りすぎない勇気」を持つことで、最後まで家族を支え続けることができます。もし今、介護の渦中にいる方がいたら、自分を責めず、どうか一人で抱え込まないでください。あなたが大切な人と過ごす時間には、家族にとって必ず意味と価値があります。

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