姉と父と祖父の死を経て、ものの見方が180度変わった。私の死生観。

女性のライフイベント

昔の私は、とにかく“もの”が大好きな人間でした。
限定という言葉に弱くて、欲しいと思ったらすぐ買う。(今でも”限定”には惹かれます…)
ぬいぐるみもガチャガチャもガジェットも、シリーズで集め始めたら止まらない。
部屋は常に何かで埋まっていて、「コレクター」という言葉がぴったりだったと思います。

とにかく物を持っていないと不安、というのもあったかもしれません。
留学に行くときには、部屋中のものを段ボールに詰めて発送していました…

高校2年生の交換留学出発の前日のお部屋の写真。

でも、姉・父・祖父と立て続けに家族を見送ったことで、私は“ものとの向き合い方”がまるっきり変わりました。
今日はその体験と、そこから生まれた私の「死生観」について書いてみたいと思います。

 

姉の死と、「遺されたもの」の重み

姉が亡くなったとき、家に運び込まれてきた段ボールの山を見て、言葉を失いました。
6畳の部屋がすっぽり埋まるほどの量。服、靴、アクセサリー、コスメ、本……。

「同じようなデニム、こんなにあってどう履いてたの?」
同じものだけでなく、未開封の美容グッズも多々ありました。中にはメルカリで4,000円で売れたものも…。

メルカリはたくさん活用していました。

「こんなにあっても持っていけないよなぁ」
そんなふうに、姉の“遺したもの”を前にして、もったいなさと虚しさが混ざった感情が込み上げました。

同時に、遺品整理という作業の大変さを痛感しました。
どれを残すべきか、どれを手放すべきか。
「姉の大事にしていたものを売っていいのか」「捨てたら、本当に姉を失う気がする」
そんな葛藤だらけの遺品整理。

少しずつ「手放す」ことができるようになりました。

「ものを減らすこと」は、“今を全力で生きること”

それ以来、私は「ものを減らす」という行為をとても大事にしています。
ただの断捨離ではなく、「ものに振り回されずに生きる」「もし自分が明日死んでも、残された人が困らないように」という視点で整理するようになったんです。

父や祖父のときも同じでした。
プロの業者を呼ばないとどうにもならない量の荷物。
「これを誰かが片付けるって、どれだけ大変なんだろう」と、あらためて実感しました。

それからは、自分の持ち物を徹底的に見直しました。

  • 空き箱や説明書はすぐ捨てる
  • 「今使っていないもの」は、基本的に手放す
  • 何かを買うときは「今持っているものを手放せるか」を考える

たとえば手袋を買うなら、今ある手袋を手放せるのか。
そうやって“入れたら出す”こと(1 in 2 out)を、日常の小さなルールにしています。

“ものを減らす”ことで生まれた、心のスペース

ものが減ると、心に余裕が生まれました。なんだか晴れやかな気分。まさに気分爽快です。
散らかった部屋にいると気分が落ち込むし、やる気も出ない。
反対に、整った空間で暮らすと、やりたいことに集中できる。

私は、「ものを減らす=心の整理」だと思っています。
自分が本当に大切にしたいこと――たとえば勉強や仕事、誰かとの時間――に集中するために、環境を整える。
それは生き方そのものをシンプルにすることでもありました。

お金の使い方も変わりました。
昔は旅行先でお土産をたくさん買っていたけど、今はほとんど買いません。
その代わり、学びや体験にお金を使うようになりました。
「ものより経験に投資する」ことが、私の中の一つの生き方になった気がします。

ものを大切にするから、手放す

「ものを大切にしたい」と思う気持ちは、今も変わりません。
でも、だからこそ“役割を終えたもの”には「ありがとう」と言って手放すようにしています。

たとえば私が使うカバンの大半が姉のお下がりで、今も大事に使っています。
服も、気に入ったブランドの数着を丁寧に着回す。

朝、部屋を見渡して「今日はこの空間で気持ちよく過ごせるな」と思えるようになったことが、何よりの幸せです。

日々少しずつ片付ける時間を「リセットタイム」として大切にしています。
チラシ一枚でも、気づいたときに処分する。
“あとでやろう”をやめて、今ここで区切りをつける。

その積み重ねが、心を清々しくしてくれる気がします。

まとめ:家族の死を経て、「今」を生きるための整え方

家族の死を通して学んだのは、
「いつか」ではなく「今」を大切にするということ。

ものに囲まれるよりも、心の余白を持って今を生きる。
持ち物を整えることは、結局“生き方”を整えることなんだと思います。

もし今、あなたの部屋が少し散らかっているなら――
それはきっと、心が疲れているサインかもしれません。
ものを片付けることは、自分を癒やすこと。

「いつか片付けよう」ではなく、「今、整えて生きよう」。
そう思えるようになったのは、家族が教えてくれた一番のギフトです。

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